【3日目】 

今日はシンカフェの半日クチトンネルツアーに参加する。
ホテルでバイキングの朝食をとり、ホテルを出発。シンカフェまでの道のリをバイクの切れ目を縫って歩いていく。いつも思うのだが、かなり危険。
15分ほど歩いて、カフェ前に着くと、昨日同様に沢山の人々が集まっている。次々とバスがやってきて、ツアー客を乗せては発進していく。バスのまわりには、観光客にガムやら、新聞やら、サングラスなどを売りつけようと現地の人達がウロウロしている。ニコニコ商売なのだが、ちょっとうっとおしいのが本音。

クチトンネルとはべトナム戦争当時、解放軍の地下基地として使用され、250キロに及ぶトンネルとなっている。人々は蟻となって戦いつづけ、難攻不落の鉄の三角地帯と呼ばれたそうだ。

ホーチミンからバスで約2時間くらい。今回は外国人が多くて、日本人が少ないので英語ガイドのツアーだった。2日目同様、バスの中ではベトナムの歴史についてガイドが説明。現地の人が英語を喋っていたのでかなりアクセントが強くて、聞き取りにくかったけど話している内容は昨日のガイドが喋っていた内容と殆ど同じだったので、とくに問題はなかった。

到着すると、当時のベトナム人によって撮影されたビデオの上映が始まる。上映される小さな会場にはクチトンネルの模型もありビデオを見ながらでも、分かりやすい説明となっている。

 

 

上映会が終わると、その周辺をガイドの説明とともに歩いて見学。トンネルの外には左下の写真のような、罠が張り巡らされ、女性なども武器を持って戦ったそうだ。

クチトンネル「隠れ穴」

右上の写真は戦争中の隠れ穴。入り口は30センチ×25センチくらいだろうか?本当に人間が出入りできるくらいの大きさなのか、欧米人の若い男性が実際に穴の中へ入った。蓋をして周りの落ち葉で覆い尽くすとどこに穴があるのか、さっぱりわからない。
周りには、戦時中に使われたと見られる、通路・隠れ穴・罠等が残っている。
アメリカ軍がベトナムから撤退した時、戦車などは放置したままで、その戦車には銃弾の痕がしっかりと残っていて、当時の激戦を物語っている。

1970年製アメリカ軍戦車

ベトナム人は、下の写真にあるような罠を使って闘いつづけた。一見見ると原始的だが、かなり残虐なもの。

 

さぁ、トンネル入り口に到着。中を歩いてみることに。
トンネルの高さは約1メートルくらいだろうか。真っ暗の中を中腰で歩いてみると、かなりきつい。情けないが、普段使わない筋肉を使ったので、そのあと2-3日は筋肉痛に悩まされた。ツアー代金は4ドル。トンネル入場料は5ドル別途必要。下の写真が入り口です。

 

トンネルの出口

クチトンネルの中を歩くのは、かなりの苦痛で、トンネルから出て来たときは、ほっと一安心。
トンネルからに出ると、どうやらここは何処かの室内につながっていた模様。
良く見ると井戸があり、かまどがあり・・・という事はキッチンとつながってたのだ。

 

 

 

 

クチトンネルでは何の関係があるのかわからないが射撃ができる。興味はないのでチャレンジはしなかったが・・。

 

ホーチミンへ帰ってツアー解散後、私達は戦争博物館へ行った。
とても悲惨なものであったが私達は目をそらしてはいけないと実感するものであった。平和な時代を生きている私達はつい平和である事を忘れがちである。でもそれを実感して、平和に暮らせることに感謝しないといけないと思った。
館内にはたくさんの西洋人がいて、展示されている写真や記事をじっくりと見ていた。中にはアメリカ人もたくさんいるだろう。その人たちはどう思ったのか?館内には意見を書き残すノートがおかれていて「ONE SIDE MUSIAM」という言葉があちこちに踊っていて複雑な気持ちだった。
敷地内にはベトナム戦争当時にアメリカ軍が使った戦闘機・戦車や爆弾などが展示してあった。アメリカ軍がベトナムから撤退する時に置いていったものだそうだ。

アメリカ軍戦闘機アメリカ軍戦車

 

戦争博物館を出て歩いて町を散策。統一会堂を目指したがもう夕方近かったため、閉館していた。
統一会堂は南ベトナム政権下の大統領官邸として使われていたが、解放軍の戦車が無血入場を果たして、事実上のベトナム戦争は終止符を打った。敷地外から戦車を見ることができた。

そして町の散策を続けながら、私達は道に迷ってしまった。地図を片手に歩きながら信号を渡っていると、バイクが急に横から現われた。間一髪セーフだったが、かなり怖い体験だった。あれだけたくさんのバイクが縦横無尽に走っているので、そんなことがあっても不思議ではないが・・・旅行傷害保険には必ず入るべきだと思った。

 

夕方からベンタイン市場へと出かけ、ベトナムドンを使い切るためお土産を買う。この時間は観光客が沢山いて、とっても活気にあふれていた。
市場に入って少しすると停電になった。ホーチンミンはよく停電するんだなぁと思い、薄暗い市場の中で買い物を続ける。復旧にどれだけ時間がかかるのかは分からなかったが、私たちが滞在している間は、復旧はなかった。

その後、昨日行ったサイゴンセンターに行って、ジュースやらビールやらを買い込む。ベトナムビールSAIGON333(バーバーバー)も70円ぐらいでゲット。レジで清算をして89600ドン。90000ドンを支払って、400ドンがお釣りとしてくるはずだった。レジの店員はキャンディー2つを私たちに手渡し、次の客の清算をはじめる。街では小額のお札がないことがよくあるらしく、お釣りができないときはキャンディーを渡すシステムらしい。
現にツアーの申込に行ったとき500ドンのおつりが返ってこなかったので、日本人をバカにしてるのかぁと思い、お釣りがないと訴えたところ、1000ドンが返ってきた。小額のお札がなくて仕方なく1000ドンをくれた訳だ。ちょっと申し訳なかったなぁ・・・。

 

財布の中をチェックすると、ベトナムドンとUSドルがどちらも中途半端に残っている。夕食ではドンを使い切らなければならない。
ホテル近くのレストランでベトナム料理のナムアンへ。ジュースや水を飲むときにはにも注意しましょう、ということで、いつもミネラルを持ち歩いていた。生野菜も水で洗うので、おなかの弱い人は避けた方が良いとか。
レストランではビールやココナッツジュースを飲む。う〜んまずい!とはいっても代表的なベトナム料理の生春巻きヤパインセオを食べて上機嫌。

 

パインセオ(ベトナム風お好み焼き)生春巻きココナッツジュース

会計時にはウェイターに頼んで、先にドンで清算をしてもらい、残りをドルで清算してもらった。ウェイターが箸袋に計算式を書いて説明。なんとなくあっているような・・騙されたような?という微妙な感じだった。今から考えると、殆どどこででもUSドルが使えたので両替する必要はなかった。

 

ホテルに帰ってスーパーマーケットで買ったビールを片手に2人でベトナム旅行のことを話しをしながら、スーツケースのパッキングをはじめた。
治安はあまりよくないというのは、あんなに沢山の人々が日本語で怪しげに声をかけてくるので、なんとなく納得。そのために気を使いすぎて、日本人の私にはちょっと疲れた。ただすべてのベトナム人がそうではないというのが分かるだけに、すこし残念でした。これは世界的には常識なのかも知れないが・・。日本は平和で、そういう環境で育った私たちは、無防備すぎるのかもしれない。

【4日目】

今日はもう帰国の日。
いつもより時間があるので、ゆっくりと朝食食べることに。朝からフォーを頼んで、ベトナム最後の朝を惜しむ。
ホテルのロビーに、送迎を担当してくれる、女性のガイドさんがやってきた。これから空港へレッツゴ―!

 

 

空港に着くとすぐに出国手続きを済ませ、チャイナエアラインのゲートへ。
台湾経由だったので、食事は台湾までに1回、成田までに1回と、2回もサーブされた。どう見てもどちらも軽食ではない。
いまさら気がついたが、往路の機内食を撮影するのを忘れてた・・・。

 

台湾からは食事を取ったらあっという間のフライトだった。

ベトナム旅行はハードではなかったが、3日目の最後で締めくくったように、色んなことで気を使って、疲れてしまった。
その上ベトナムというと、30数年前のベトナム戦争は、切っても切り離せない。目を覆いたくなるような現状も目にして、とても考えさせられる事が多かった。
いまでも戦争は、地球上の何処かで行われている。あんな惨劇は二度と起こしては行けない。世界はこれからどうなってしまうのか?

 

Top  Back

inserted by FC2 system